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「エール」双浦環のモデル、三浦環はどんな人物だったのか?柴咲コウ演じるオペラ歌手は、本物もすごかった!

朝ドラ「エール」に登場する双浦環。柴咲コウさんが演じていますね。

そのモデルとなった三浦環さんとは、どんな人物だったのでしょうか?

このページでは、三浦環さんについて詳しく調べて紹介します!

「エール」双浦環(柴咲コウ)とは、どんな人物?


世界的に活躍するオペラ歌手。
大正12(1923)年秋、11歳の音(清水香帆)は、豊橋の教会で出会ったオペラ歌手・双浦 環の歌声に心ひかれる。この出会いがきっかけで、音はプロの歌手を目指すことになる。
月日はすぎ、昭和7(1932)年1月、東京の音楽学校で音(二階堂ふみ)は憧れの双浦 環と再会。双浦環はのちに音をはじめ、裕一(窪田正孝)にも多大な影響を与える存在となる。

オペラ歌手 三浦環とは?~双浦環のモデル

日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手。十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて「マダム・バタフライ」と称され、国際的に広く知られた。

蝶々夫人もモデルにした 三浦環 舞台で2000回公演も!!

その後ヨーロッパに戻りロンドンでビーチャム歌劇団と共演します。1918年にアメリカ合衆国に戻り『蝶々夫人』とメサジェの『お菊さん』を上演しますが、後者は「蝶々さん」の焼き直しに過ぎないとして不評でした。
1920年にモンテカルロ、バルセロナ、フィレンツェ、ローマ、ミラノ、ナポリの歌劇場に客演します。
1922年に帰国すると長崎に留まり、『蝶々夫人』とゆかりの土地を訪ね歩き、演奏会を開きます。またレコードも大ヒットし、同年11月時点で東京市だけで8万枚を売り上げました。
1924年に再び渡米し、サン・カルロ・オペラ団に出演します。1925年にはシカゴに行き、アルド・フランケッティから献呈された『浪子さん』を初演する。その後はイタリアで歌手活動を続け、1935年にはシチリア島のパレルモで『蝶々夫人』出演2000回の記録を達成しました。
パレルモで『蝶々夫人』自身出演2000回目を達成した環は、これを機に永住帰国を決断し、1935年11月に帰国しました。

翌1936年の6月26・27両日、東京の歌舞伎座に於いて開かれた原語(イタリア語)による『蝶々夫人』公演に自身2001回目の出演を果たします。以後、日本国内に於いてオペラへの出演やリサイタル開催、レコーディングなどを重ねていきます。ことに『蝶々夫人』に関しては、自身による日本語訳の歌詞にて上演したこともありました。

古関裕而と三浦環の接点は?

三浦環は古関裕而が生まれる前の、1907年に助教授となり、その後歌手への夢を捨てきれずイギリスへわたります。
「船頭可愛や」がヒットした1935年には世界中で活躍していました。
1936年に三浦環が帰国します。「船頭可愛や」がまだヒットしていたころで、コロムビア所属の三浦環のレセプションが盛大に開かれました。そのときにちょうどビクターから移籍してきた、作詞家で詩人の西條八十が三浦環とお話をしていたのを古関裕而が目撃。
その後のスピーチで三浦環が「西條八十さんのことを西條ハナという女性の詩人だと思っていた」と発言し、場内は爆笑に包まれたそうです。三浦環はそんなチャーミングな女性なのです。

「船頭可愛や」を聞いた三浦環は、この曲をとても気に入り、自分もレコードにしたいと申し出ます。世界的なオペラ歌手が、自分が作曲した歌をレコードにしたいと言い出した為、古関裕而はびっくりしたそうです。でも、当然大喜びで、レコーディングに立ち会い、その美声と技巧に感服したそうです。

このころコロムビアではレーベル面の色で赤盤と青盤に分けていました。青盤は海外の有名なアーティストのレーベル。一般的な歌謡曲は赤盤。三浦環が歌った「船頭可愛や」は青盤でリリースされています。ちなみに古関裕而の青盤は三浦環の「船頭可愛や」と、のちに三浦環に書いた「月のバルカローラ」2枚だけだそうで、その2枚の事を最高の名誉であった、と古関裕而は語っています。

歌手 三浦環は、古関金子のあこがれの人

ドラマ同様、歌手を志した古関金子にとって、三浦環は幼い頃からの憧れの存在だったようです。

古閑金子は帝国音楽学校で三浦環の妹弟子でもあった声楽家・ベルトラメリ能子に師事しており、三浦環の存在は身近に感じていたことでしょう。
また、古関夫妻と三浦環が同じ枡席で相撲観戦をし、三浦環が巨漢過ぎてスペースがなく、金子が裕而の膝の上に乗ったというエピソードもあったようです。

三浦環さんについて まとめ

音が幼い頃、豊橋の教会で初めて会った環は純白のドレス姿でした。
でも後日、環は大正・昭和初期の流行を取り入れたややカジュアルな和装コーディネートで現れました。もみじ柄をあしらった赤い着物に、大きな椿柄の帯。白黒柄の帯締めと半襟、羽織の青がアクセント。赤・黒を基調にすべて柄物でまとめた華やかなコーディネートが、演じる柴咲コウさんのきりっとした美しさによく映えます。このころ、時代は昭和初期。登場人物たちの衣装にも、当時の流行を意識した細やかな心くばりがなされているようです。
環が和装で登場すると、あまりの美しさに視聴者からも感嘆の声が続々。

SNSは「柴咲コウさんの和装ステキ!!ド派手な組み合わせがめちゃくちゃ似合う」「ここまで柄に柄を合わせてもお顔の華やかさが全然負けてない!」「ただただ美しい…朝から眼福」「美が極まってる!!」といった声でにぎわったそうです。

憧れの存在で、歌声もさることながら、美しいという部分は、視聴者も音の気分になれる要素が充分ですよね。実際の三浦環は巨漢だった、という記述もありますが、あくまでモデルですから…。
近頃は双浦環の旦那役である金子ノブアキさんもちゅうも注目されているようで、ドラマも合わせて気になりますね。

今回は柴咲コウさん演じる双浦環と三浦環について調べてみました。

 

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